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アレハンドロ・プッチオの経歴を調査!現在は肺がんで亡くなっている?!


 
こんにちは。フラムです。

 
今回もプッチオ事件にかかわった一人とされる

「アレハンドロ・プッチオ」について取り上げます。

 
アレハンドロプッチオはアルキメデスプッチオの長男でありますが

父親に誘拐を加担させたりするある意味不幸な方でした。

 
今回はアレハンドロプッチオについて取り上げますが

事件全体の概要については父親の方で書いたのでカットします・・・

 
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アレハンドロプッチオのプロフィールと家族について

 
元々プッチオ一家は妻と5人の子供がいました(息子3人、娘2人)

Alejandro(アレハンドロ), Silvia(シルビア), Daniel(ダニエル)
 Guillermo(ギレルモ),  Adriana(アドリアナ)
そして妻はEpifania Calvo(エピファニア・カルボ)でした。

いずれも読み方はあっているか確証はありませんが・・・アルゼンチンだし・・・
 
 
特にアレハンドロはラグビー選手として活躍をしておりました。

彼の地元「San Isidro」では有名と言ってもいいくらいでした。

当時の写真があったので載せますが、普通の青年でした・・・・

 


 

引用元

 
 

アレハンドロが誘拐事件に関わっていく・・

 
アレハンドロの日常が崩れるのは1982年7月22日です。

アレハンドロの父親「アルキメデス」が誘拐ビジネスを始める日でもあったのです・・・

 
父親は息子に、友達でもある「Ricardo Manoukian(リカルド・マノウキアン)」
を誘拐するために加担するように命令をしたのです。

 
リカルドさんもアレハンドロと同じのラグビーチームだったのですが

アルキメデスはその友人を誘拐してしまうのです。

 
誘拐した友人はプッチオ家に特別に作られた監禁部屋に閉じ込め

身代金を受け取るための紙などを書かされたりしました。

 
監禁部屋はこちらなのですが、田舎と見せることで

遠くに連れていかれたと思わせることができます。

アルキメデスの犯行計画が用意周到だったと考えさせられます・・・
ガチの軍人強いよぉ・・・


 

引用元

 
アレハンドロは、リカルドの家族が身代金を支払えば釈放されると思ったのですが

リカルドは撃たれてしまい。お亡くなりになってしまいます・・・

 
アレハンドロは父親に責め立てましたが

父親は「人質に逆に脅され、家族を守るために仕方なかった」と告げるのでした・・・

 
そこからは家族全員が生きるために誘拐ビジネスに手を染めていくことになりますが

アレハンドロ自体は父親に友人を殺されたことでとんでもないストレスがあったようです・・・

 
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アレハンドロはすでに亡くなっている?

 
アレハンドロは1985年に捕まっていませんが、拘留されることになります。

アレハンドロは裁判所(5階)から飛び降りをしようとしましたが、失敗に終わっています・・

 
 
しかし、アレハンドロは2007年に逮捕されております。

ですがその翌年には肺炎で亡くなっています。
 
 
アルキメデスは釈放されて割と自由な?生活を送っていたのですが

息子は父親に脅されていただけなのに余りにも不幸な結末を迎えています。

 
個人的には事件の結末としてはあまり気分のいいものではありませんが

現実はそんなものでしょう・・・・

 
以上になります。

最後までお読みいただきありがとうございました~

 
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