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永田行夫の出身地や経歴を調査!桜公園やナヴォイ劇場の場所はどこ?


こんにちは。フラムです。

 
4月になり花見をされている方もいると思います。

私の地域も桜などが咲いておりお花見をする人もちらほら見かけます。

まぁ虫が多くなってきてんですけどね。虫嫌いなんだよなぁ・・・
 
海外でも桜があります。有名なのはニューヨークにある桜パークです。

ですがウズベキスタンにも桜が植えられています。

 
なぜウズベキスタンに桜が植えられているか、それは今回は「アンビリバボー」で

取り上げられる永田行夫さんが大きく関係します。

 
というわけで今回は永田行夫さんについて取り上げます。

ウズベキスタンに桜が植えられたのは永田さんたちの行動が現地の人に感銘を与えたからです。

永田さんたちはどんなことをしたのか?

今回はこちらと、永田さんの現在について主に紹介していきます!

 
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永田行夫の経歴を調査!

 
  • 戦争終了から捕虜まで
 
永田さんは第二次世界耐対戦の時は「第10野戦航空部隊」で航空機の修理を担当していました。

その時の永田さんは航空部隊の少佐・作業部隊長として働いていました。

 
ですが戦争終了間近、ソ連軍に永田さんを含む旧陸軍航空部隊がソ連軍の捕虜になりました。

永田さん一行は貨物列車で一カ月半をかけて約4000km離れた「タシケント市」に連れてこられました。

 
ここでソ連軍は、永田さんらにソ連革命30周年にあたる1947年11月7日までに

オペラうハウスを建設するように命令しました。

 
タシケント市に連れてこられたのが1945年10月下旬だったので

つまり2年でオペラハウスを作らなくてはいけませんでした・・・

 
永田さんの戦争終了時の年齢は24歳でしたが、他の部隊からの人員を含めて

18歳から30歳までの現場責任者として指揮をとる立場になるのです。

 
  • ウズベキスタンの捕虜時代
 
永田さん一行はウズベキスタンでオペラハウスを建設しなくてはいけなったです。

部隊の人たちは2年間も収容所にいなくてはいけなかったり、現地の南京虫などがおり

労働環境としてはいいものではありませんでした。

 
ですが永田さんには”目標”がありました。

「全員が無事に帰国し、家族と再会すること」でした。

 
そのためには全員が健康でなくてはいけません。

ですが、仕事内容に社会主義的思想が介入しており、ノルマを守らない人は食事が少なくなるシステムがありました。

ですが仕事内容は測量、鉄骨組立、レンガ積み、電気工事など多岐にわたり

特にレンガ積みなどの肉体労働はノルマの達成が厳しくなります。

 
ノルマが達成できないということは食事も少なくなります。

その時永田さんは全員が公平に食事を分配するために

各自がノルマに応じた食事を受け取ったあと、公平に再分配をしたのです。

 
当然ソ連兵たちは永田さんへ命令違反であるといいますが

永田さんはこう反論しました。
「ソ連の社会主義政策では、働いた上で本人に与えられた物は
その本人が自由に処分してもいいですよね。今日の食事は自分の裁量で
配分が少なかった兵にじぶんのぶんをあたえただけです。」
引用元
 
この発想がソ連兵の所長に評価され、永田さんの行為を認めたのです。

永田さんの優しさと度胸が見られますね・・・!

 
他にも現地人からのサポートもあり、永田さんの部隊全員が帰国することに成功するのです・・・!

 
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ナヴォイ劇場の場所はどこ?

 
ナヴォイ劇場ですが、永田さん部隊は日本人の意地や誇りにかけて作りました。

もちろん手抜きもできたのですが、永田さんは「歴史に残るオペラハウスを作るのだから
日本人の誇りや意地にかけて最良なものを作りたい。」とおっしゃっています。

 
これを聞いていたのは1646年にウズベキスタンに送られた日本大学建築学科の「若松律衛」さん

でしたが、永田さんの言葉を聞いて全力を尽くすことができたのです。

 
それで作られたナヴォイ劇場はこちらです。

 

引用元

 
こんな建物を日本人が作ったと聞くとなんか感動しますね・・・・・

ちなみにウズベキスタンで地震が起こったとき、この劇場がなんと避難所として機能したのです。

 
このときの地震はナヴォイ劇場以外の建物は崩壊していましたが、この劇場だけは

崩れることはなかったそうです・・・・!

 

サクラ公園や場所を調査!

 
ウズベキスタンには桜があると最初にいいましたが

桜をウズベキスタンに埋められたのはタシケント市の中央公園です。

 
タシケント市はこちらです。

 


 
この桜は当時のウズベキスタンの首相が、現地で亡くなられた日本人のために植えられました。

その数1900本であり、毎年美しい桜が見られます。

 
ナヴォイ劇場に近くにも建てられており、今の季節なんかは美しいと思います・・・

 


 

引用元

 
ウズベキスタンへ送られた永田さんたちは、絶望はしたものも

笑顔は絶やさずにこのような建物を建てたことは本当にスゴイですよね・・・・

 
以上になります。

最後までお読みいただきありがとうございました~
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