プロデューサーの松原裕さんが4日39歳で亡くなった。
松原さんが代表を務めていたライブハウス
「MUSIC ZOO KOBE 太陽と虎」の公式サイトとツイッターが
発表しました。
Array 2016年からの闘病生活だったのと、2018年には【訃報】
かねてより病気療養中の弊社代表取締役社長 松原裕が平成31年4月4日享年39歳にて永眠致しました。
ここに生前のご厚誼に感謝致しますとともに、謹んでお知らせ申し上げます。
— PINEFIELDS OFFICIAL (@PINEFIELDS_REC) 2019年4月4日
24時間テレビにも出演されておりました。
松原さん自身もお亡くなりになる前日も諦めずに
投薬で治療に取り組む様子をツイートされておりました。
今回については松原さんの結婚した妻や子供の現在について
調べてみたいと思います
松原裕の結婚した妻や子供について
松原さんの息子さんですが、二人おりますが
分かる情報についてご紹介いたします。
まず、2012年9月11日の松原さんのブログでは
息子さんと一緒に伊勢海老料理食べている様子がありました。
そして、2018年の24時間テレビのときには
二人のお子さんと一緒にテレビ出演されておりました。
左から長男が「佑吏(ゆうり)」さんで
右の次男が「翔生(しょうき)」さんです。
長男については大学に進学しており、4月のブログで大学に
進学されていることが明らかになってます。
奥さんについてですが23歳のときに離婚されております。
20歳の時に結婚したということですので、おそらく同じ業界の人だと
思いますが、わずか三年後で離婚しているので、浮気とかあったのでしょうか。
ちあみに松原さんのお母さんは5回離婚しているという
すごい記録を出しております。
実は松原の母は5回離婚しておりまして本当のお父さんを松原は20才まで知りませんでした。で、20才の春、家を出たら探偵がやって来て「本当のお父様が探しています!」と言われるがまま連れて行かれた喫茶店。見たことの無い男性が号泣しながら抱きついて来て「やっと会えた…」の言葉に周囲のお客さんからも拍手と貰い泣きで喫茶店は徳光さんか紳輔のどっちかが居たら完全にTV番組状態。
引用元
なので詳しい情報については今では入手不可能ですが
結婚してから離婚というケースは関係が合わなかったとかありそう
松原裕のガン闘病の記録や日誌についても
松原さんの闘病日記についてはこちらのサイトで見れます。
https://blog.comingkobe.com/
4月3日まで毎日更新されておりましてそれだけでもすごいのですが
しかし、最近のブログでは症状が悪化していっているということが
かかれております。
4/1。令和が発表されたのを見届けてから長男くんの大学入学式へ向かいます。遂に晴れの舞台。
朝からすっごい痰と咳で苦しみまくりだったけど、気にせず車に乗り込み大学に向かう。
しかし道中でウルトラ咳しまくりで、どんどん悪化。咳がひどくて背中や腰に響いて痛みまくり。これは辛いぞ。
しかしちょっと歩行するだけで呼吸は苦しい。ずっと痰が気管支の中で空気の通り道を塞ぐ。
これは1月20日に入院した時と同じぐらい苦しい。なので絶対病院に行った方が良さそう。
引用元
なので、実際のところは症状の進行が進んでいたのですが
奇跡的に入学式に出席できてよかったです。
Array このアレという薬については、スーテントという薬であることがわかりますが遂にアレを飲みます!
— 松原 裕 / KOBE太陽と虎 (@matsubara_kobe) 2019年4月2日
副作用超怖い!
松原さんのブログでは、二週間ぐらいやってみないとわからないという
ギャンブル性を秘めた薬であると書かれてあります。
医薬用医薬品のサイトでは最悪の死に至ることもかかれております。
本剤の投与にあたっては、緊急時に十分対応できる医療施設において、がん化学療法に十分な知識・経験を持つ医師のもとで、本療法が適切と判断される症例についてのみ実施すること。また、治療開始に先立ち、患者又はその家族に有効性及び危険性を十分説明し、同意を得てから投与すること。しかし、まだ体力が残っている間に投薬した方がいいという
心不全等の重篤な心障害があらわれ、死亡に至った例も報告されているので、必ず本剤投与開始前には、患者の心機能を確認すること。また、本剤投与中は適宜心機能検査(心エコー等)を行い患者の状態(左室駆出率の変動を含む)を十分に観察すること。
引用元
判断から投薬することを決意しました。
しかし、お亡くなりになったのはその2日後ですので
結果的に正解であったかどうかはわかりません。
まとめ
というわけで今回は松原さんの息子さんや闘病日記でしたが
お子さんの晴れ姿を見れたのは非常に良かったと思います。
欲を言えば完治してほしかったのですが、流石に余命2年も
言われてる通り、結構厳しいものはあったと思います。
それでも懸命に闘病した松原さんのご冥福をお祈りします。