今回は高桑広太郎(たかくわこうたろう)さんについて取り上げていきます。
日本工業大学の新建築デザイン研究会の教員をされています。この研究会が作成した「素の家」が今回話題になってしまっているのですが・・・・
今回はその新建築デザイン研究会の教員の高桑さんについて書いていきます~
髙桒広太郎のプロフィール
日本工業大学のプロフィールを引用すると昭和54年12月生まれ、博士(工学)です。つまり年齢は37歳とかなり若いですね。まだ教授ではないですが、そこはしょうがないですね(一個前の記事で論文出してないとかいったやつ誰だろうね。)
平成25年3月 日本工業大学大学院工学研究科博士後期課程建築学専攻修了
趣味:自転車
写真は削除されているか・・・・
現職は助手をされていますね。まだまだ年齢もわかいので助手なのは仕方ないとは思います。(私の大学は40代では教授でしたが・・・
専門領域は建築意匠です。(なお私は建築意匠はしらない
建築意匠は建築デザインと同じ意味です。さっくりいうと建造物や建物をデザインを分析することを目的としています。
建築意匠は建物から社会に対する何らかのメッセージを読み取ります。この建物は何のために建てられたか、なぜこの地域で建てられたか。などを検討するらしいです。
ちなみに大学院卒業が30代なので20代なにしていたか探したのですが、情報がなかったですね(プロフィールを見ても大学生活では先輩と設計について熱く語り合ったとしか書かれてない
教授として疑問に感じる人も
メッセージが注目されているみたいですね。メッセージはこちらですあまり人に自慢できる話ではありませんが…私は大学に入学してから、机に向かってノードにペンを走らせる、いわゆる「勉強」をした記憶がありません。図書館で建築の本を一日中眺めたり、製図室で夜尾浴まで図面や模型を作ったり、研究室で先輩と友人たちと建築談義に花を咲かせたり(お酒をのみながら)、長い休暇期間ではたくさんの建築旅行に出かけました。これは「勉強」というより、大学生活での「日常」のようなもので、とりわけ建築設計という分野において、大変貴重な経験となります。みなさんも、こうした大学生活を通じて「ケンチク」を学んでみませんか?ついったぁではこんな感じ(一部)
Array 大学でペンをはしらせたことがないってのも考えものですね・・・・今回、直接関わっているか不明だが、髙桒広太郎氏の研究テーマの「専門的な設計・施工教育を受けず、体系的な建築知識も有しない者により、独力で建設された建築等」という「アウトサイダー・アーキテクチャー」に安全性の問題があることは明確。https://t.co/25gB1oFG2X
— 園芸家 (@engeikana) 2016年11月6日
教授に対するイメージというのは今でも座ってもくもくと研究をするってイメージが強いですからかね
(といっても書いているうちに疑問に思わなかった私も相当ダメ)
ただ、全文を見ていると髙桒さんにとっては
・図書館で建築の本を一日中眺める行為
・製図室で夜遅くまで図面や模型を作る
・研究室で先輩や友人たちと建築談義に花を咲かす
・建築旅行に行くこと
この行為は勉強にあたらないということです。もはや日常だといっています。(個人的にはいつ論文書いてんだろと思っちゃうけど)
新建築デザイン研究会と素の家について
「素の家」を作ったのはおそらく髙桒さんの研究領域に合致してたからではないでしょうか?看板でも・生物は巣を創った
・人間は家を造った
・「私は巣に戻りたい」
・私は家を削り暖をとる。
が全文です。
イメージしやすいので木のジャングルと言いますが、木のジャングルというのは家の屋根や外装を限りなく削り取り、そのなかにおがくずや電球を入れ暖を取ろうといった感じなんですかね(美的センスな私の評価。自分でもセンスないな~ってわかるわかる
ネットを見てみるとほかの展示物に似ているじゃないか!といった声もありますが、個人的には結果的に似てしまったものだからしょうがないと思っています。
本題に戻りますが、髙桒さんの研究領域が建築意匠なので今回の「東京デザインウォーク」ではこのようなものを作ったと私は思います(生活デザイン学科だしね)
最後は私の妄想で繰り広げました。最後までお読みいただきありがとうございました
一個前の記事
素の家の設計(企画)者は?謝罪や反省の言葉はある?(日本工業)