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こんにちは。フラムです。
バース・デイに「野中徹博」さんが出演しますね。
1983年ドラフト1位で阪急(当時)に入団。中日、ヤクルトなどでも活躍しましたが
プロでは肩を故障したり、ウイルス性肝炎を患い練習生に格下げになるなど
満足した成績が残せませんでした。
それでも内野手に転向し、ある程度の成績は出しましたが一軍出場はなく
現役の引退を決断しました。
そこから現在、野中さんは看板設置のプロになっており、さらに若い社員への指導をしているおります!
それが「東亜レジン」というのですが本当でしょうか?
そこで今回は野中さんの現在について調査をしていきます!
野中徹博のプロフィール
野中徹博 のなかてつひろ
生年月日 1965年5月22日
身長/体重 183㎝85㎏
出身 岐阜県
引用元
- 1度目の引退から2度目の引退まで
野中さんは1993年に台湾のプロ野球チーム「俊国ベアーズ」に入団しました。
このころ、芸能人チームとの対戦の時に投手をしましたが、肩の痛みがなくなったそうで
再度プロで投げたいという気持ちがわいてきたからです。
そこからなんと1年で15勝をあげ、在京チームから獲得を打診され
1994年には中日ドラゴンズに入団しました。
同年の読売ジャイアンツとの10.8決戦では8,9回の2イニングを無失点に抑えたそうですね・・・
しかも1994年は21試合、1995年に20試合に登板するなど活躍していました。
しかし、1996年の監督交代により、戦力外通告を受けます。
ですが1997年にはヤクルトスワローズに入団を果たします。
この年に初めて初勝利を上げましたが、翌年には坐骨神経痛を患い現役を引退しました。
野中さんは戦力外通告を受けながらいくつものプロ野球の球団でプレーをし
成果をあげてきましたが、度重なる病気や機会の恵まれなさで引退することになります。
2度目の引退から現在まで
ヤクルトを引退した後の野中さんは職を探し、いろんな仕事を転々とします。
野中さんは成績があるので、プライドとかあるんじゃないかぁ・・・と思ったのですが
野中さんはインタビューでこう答えています。
元野球選手だからこの仕事はできない、などと考えるのは、僕は違うと思います。過去の栄光やプライドが邪魔をして、次のステップに踏み出せない人も多いんです。どんな世界に行っても礼儀正しくするのは同じこと。こだわらないで普通にやればいいんです。
引用元
とプライドがあることがセカンドキャリアの形成を邪魔することをおっしゃっており
本当にいろんな仕事をします。
野中さんは現在の都内のメーカーに勤めるまでに3つの仕事をやっておりました。
- 医療機器メーカーで市場調査
- 調査会社の代表(不倫調査)
- 下水管の調査員
特に調査会社では「ガルエージェンシー」という会社で「FC東京城下町」で
代表をやられていたようです。
野球から探偵への転向に関して、ガルエージェンシーさんは大変期待をしておりましたが
人件費の費用が出せなくなり、給料未払いを避けるために2年半で清算しました。
ちなみにガルエージェンシーは探偵会社なのにFCなんですね・・・・
特に現在では、都内の会社で看板設置のプロになっております。
野球で培ったメンタルが今でも生きており、若手社員にも
野球で学んだ根本的なことを指導しているようです。
ちなみに、被っているヘルメットが「東亜レジン」なのですが
もしかしたら東亜レジンで働いているのでしょうか・・・?
東亜レジンの社員数は2017年現在は534名で、看板のデザインや取り付けを行っているので
多分そうかも・・・・?
妻や子供は?
野中さんに妻や子供の情報はございませんでした・・・
噂によれば、野中さんは一度妻に逃げられており、それがきっかけで探偵に関心を持った
とありますが、ちゃんとした情報がないので噂レベルにしかならないところです。
現在は別の奥さんと再婚されているのではないでしょうか?
もう50歳越えていらっしゃいますし、いるのではないかと思いますが・・・
まとめ
野中さんは現在都内の看板メーカーで社員指導というポジションを担っています。
それが「東亜レジン」なのかは確証がないですが
しかし野中さんの諦めない努力は本当にすごいですよね・・・!
現在は社員教育だけではなく、「少年野球指導教室中野塾」で月1で指導もされていますからね!
このパワフルさは見習いたいですね・・・!
以上になります。最後までお読みいただきありがとうございましたー