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こんにちはフラムです。
「究極の○×クイズshow」で八王子の地名の由来が八人の王子という問題がありました!
八王子に対して全くイメージがわかないのですが、地名の由来は王子なのでしょうかね・・・?
もしそうなら、八王子にはかつて8人の王子、もしくはそれに値する人物がいたのでしょう。
つまり当時八王子は重要な地域だった・・・今では「八 王 子」くらいしか見ないのですが・・
というわけで今回は八王子の名前の由来といわれる八人の王子について取り上げていきます!
八王子の名前の由来の王子の名前は?
どうやら八王子の名前の由来は「牛頭天王(ごずてんのう)」に由来するようです。
牛頭天王といっても、神の一人(?)であり、本地垂迹の思想では、スサノオ神の本来の姿とされているそうです。
牛頭天王が八王子をもうけるまでを簡単にまとめます。
小さいころから牛頭天王の姿が恐ろしく、女性は誰一人として近寄らなかったそうです。
さすがの牛頭天王もこれには精神的ダメージが大きく、酒浸りの日々を過ごすことになります。
それに見かねた公卿(大臣っぽい人)は、牛頭天王と一緒に狩りに行くことになりましたが
そこで出会った一羽の鳥がなんと、沙掲羅龍王の娘の元に案内すると言い出します。
話がぶっとぶのはいつものこと。ちなみに海の中までいきました。
そして牛頭天王は龍宮に赴き、沙掲羅の三女の頗梨采女(はりさいじょ)と結婚し
8年の間に七男一女(これが八王子)をもうけました(一年に1人ってスゴイペースですね)
ちなみに牛頭天王と頗梨采女の間に生まれた八人の王子名前は以下の通りです。
・太歳神(木曜星・総光天王)
・大将軍(金曜星・魔王天王)
・太陰神(土曜星・倶魔羅天王)→この人だけ女子
・歳刑神(水曜星・得達神天王)
・歳破神(土曜星・良侍天王)
・歳殺神(火曜星・侍神相天王)
・黄幡神(羅光星・宅神相天王)
・豹尾神(計斗星・蛇毒気神天王)
引用元
と牛頭天王は子だくさんに恵まれましたが
そこから、どうやって東京の八王子の名前が付けられたのでしょうか?
八王子になった理由は?
八王子なった理由についてですが、結果からいうと不明ですが八王子神社から広まったのは間違いないです。
その歴史はさかのぼること平安時代
913年に華厳菩薩妙行が東京の深沢山(後の八王子城)で修業をしておりました。
妙行が修業をしているときには鬼や大蛇などが襲ってきましたが
手にした如意棒や妙行の気(たぶん)で撃退していきます。
そしてある日の朝、牛頭天王と八王子が妙行の前に現れて
妙行の徳に感服し、八王子をこの地にとどまらせることにしたのです。
妙行は八王子がこの地にとどまっても修行を重ねていきます。
そして939年、妙行の功績が朱雀天皇(実在)の耳に届き
称号「華厳菩薩」と深沢山にあった寺の名前を「牛頭山神護寺」と改められたのです。
そしてこの牛頭山神護寺が八王子神社の始まりといわれているのです。
と、正直牛頭天王の八王子と関係なくね?と思ったのが正直なところですねが
「八王子」が使われているのを確認できる最古の書は、北条氏康の書状(1569年)です。
この書状では「八王子方面」という意味で「八王子筋」と使っているそうです。
つまり、八王子は1500年代以前から使われていることが確認できるもので
長く使われているから定着したものではないかと思っております。
まとめ
というわけで八王子の地名の由来は牛頭天王の八人の王子が東京の深沢山に住み始めたのが
きっかけとは言いにくいですが、少なくとも住み始めたから「八王子」としてつけられた可能性はあります。
いつから広まったのかは不明ですが、北条家が「八王子筋」と使っている所から見ると
前から使われていた可能性はあります。
まぁここらへんはあいまいな部分が多いので難しいのですが・・・・
以上になります。最後までお読みいただきありがとうございましたー